「ニッポンの総大将として迎え撃つ」
その言葉が今聞けるなんて思わなかった。
私たちは夢でも見ているんだろうか。
思えば2022年の天皇賞・秋から不思議な感覚だった。過去の名馬に姿を重ねることはタブーだと思いながらも、果たして思い出さずにいられただろうか。
57秒4で1,000mを駆け抜ける黒っぽい鹿毛の姿。後続が小さく見えるほどの大欅手前。
そして欅を越えて第4コーナーへ。
「4コーナーから直線に、単騎先頭パンサラッサ入ってきた!」
きっと誰もが聞きたかった言葉を私たちは聞いた。
「4コーナー早くも…」
この先に本当はつながってほしかった言葉を24年の時を経て彼は聞かせてくれた。
このときはイクイノックスの切れ味が勝ったけれども、1998年だってステイゴールドやオフサイドトラップがどう直線で動いたかわからない。結局永遠に訪れないイフに違いないのだ。
それでも一人旅をした馬が帰ってきて翌日カイバをもりもり食べていると聞いただけで歓喜した。夢見心地な秋だった。
イクイノックスがそこから大飛躍を遂げるそばで同期のダービー馬ドウデュースはおそらく思うようには結果を積み重ねられていなかっただろう。
ドバイターフはまさかの除外、立て直しを狙った天皇賞・秋では鞍上武豊騎手のまさかの負傷、ジャパンカップでは馬自身の調子こそ上向いてきたもののラストランとなった同期イクイノックス勝利の影で4着。
そしてようやく、鞍上と調子を取り戻しての有馬記念では圧巻の走りで勝利、秋古馬三冠ローテーションを京都記念以来の白星で締めくくった。
明けてドバイターフは猛烈な包囲から抜け出せず、重馬場の宝塚記念では位置取りもあって掲示板を外すなどまたしても歯がゆい春を過ごした。
最後の秋は最速の末脚から始まった。
2歳朝日杯フューチュリティステークスから3年、毎年1つずつしかも国内GIタイトルを獲得する様はまるで平成前期の名馬のよう。予定通り次走はジャパンカップに見定めた。
まさに日本馬の総大将として申し分ない。ただ、近年は総大将を名乗ろうにも海外馬がなかなか参戦しないという悩みがあった(1~2頭は来ているが)。しかもかつてのように大々的にジャパンカップ参戦!と喧伝してくれなくては、総大将を堂々名乗ることもできない。
ここで幸運なことにオーギュストロダンがジャパンカップをラストランに指名していた。オーギュストロダンは英愛ダービーを含むGI6勝、しかもディープインパクトのラストクロップである。次いでキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスでのちの凱旋門賞馬ブルーストッキングに勝利したゴリアットが高らかにジャパンカップ参戦を表明、ドイチェスダービー、バーデン大賞勝ち馬のファンタスティックムーンも参戦を表明した。
世界トップクラスのGI、しかもダービー勝ち馬の参戦。
頭数こそ…いや頭数も近年では多いほう、1999年のジャパンカップを思い起こす実績馬たちの参戦である。なにより本当に大きいのはオーギュストロダンである。
1999年11月28日、前月エルコンドルパサーの敗戦に涙をのんだ日本の競馬ファンの前に堂々登場した凱旋門賞馬モンジュー。あの勝負服を纏ってオーギュストロダンは日本に来るのである。
「ニッポンの総大将として迎え撃つ」
それは武豊騎手にとっても25年前と同じ構図。しかもドウデュースの父は日本馬で唯一ディープインパクトに土をつけたハーツクライ。晩年の最高傑作同士、日本で対戦することが叶うのである。
ところで、過去の名馬に重ね合わせることは失礼にもあたることがあるが、武豊騎手自身ドウデュースのダービー前にこんなことを言っている。
「皐月賞が1番人気で3着だったことですよね。ダービーの結果まで同じであることを願っていますよ。あの時はダービー初勝利でした。せっかくスペシャルウィークを引き合いに出すなら他にも似た部分がある。物事に動じない点。ひょうひょうとした性格も同じ。異なるのはフットワークです」
【日本ダービー】武豊 史上初の50代V&6勝へ ドウデュースと伝説刻む「距離は大丈夫。左回りもいい」 - スポニチ競馬Web
フットワークというのはスペシャルウィークが典型的なストライド走法であるのに対してドウデュースがピッチ走法である、ということだったが、日本総大将にふさわしい馬として重ねて夢を見ることは許されたい。
ぜひ11月24日を迎える前に1999年ジャパンカップも見てほしい。
レースがどんな結果であっても世紀の一戦をどうか全人馬無事に駆け抜けられますように。願わくば総大将に勝利を。